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臨床で働く歯科技工士の声

歯科技工士のイマを訊く-vol.5- 【渡邉 一史さんの場合】


歯科技工士になるきっかけ

私は医学部に行きたいと思いつつ、大した勉強もせずに2浪しました。今思うと、単に「ブラックジャック」に憧れていただけなのかもしれません(笑)。
「1浪だけは面倒を見る」という父との約束でしたので、2浪目は新聞配達をしながら予備校に通う新聞奨学生を選択したのです。同じ境遇の同級生もいましたし、大学生の先輩達もいましたので、全く悲愴感はなかったのですが、朝3時に起床し朝刊の配達、夕方4時の夕刊の配達はかなりきつく、思ったように学力は上がりませんでした。

そうこうしているうちに受験となり、大学、学部のランクを下げ望んだものの、合格するだろうと思った学部も結果が出ない状況でした。ここで、自分の方向性は決めなきゃいけない、そう思いました。なんでもいいから合格を!と思っていましたが、結果が出なかったことは自分の進路と真剣に向き合う事に繋がったと、振り返ると感じることです。

もともと美術が得意で、母親が私を産む時にかなり歯時を失いましたので、「私のために失った歯なら私が作ろう」と思ったのです。美術と医療と母親への恩返しが可能な歯科技工士という職業は、まさに私にとって天職だと思ったわけです。
ところが、…

技工学校への入学

もともと大学に行くつもりだったのと、高校も進学校であったため、技工学校自体は舐め切っていました。歯科という勝手が違う分野だけに真面目にやった部分もありましたが、技工が楽しいと感じることはありませんでした。というのも、はじめての歯型彫刻の時間、口腔解剖の先生でもあり、学年の副主任の先生に「上手いねぇ。筋が良い。」と褒められたにも関わらず、後に返却された時の評価は「普通」だったからです。どう見ても自分より下手と思われる彫刻の評価が上だったことも疑問に思い、評価した先生(褒めてくれた副主任の先生とは異なる)に理由を聞きましたが、「そういうこともある。」と納得のいかないものでした。

まだ、入学してそれ程経っていない頃でしたが、「先生はあてにならない。実技に関しては学校を出てからが勝負だ。」と思ってしまいました。これは褒められたことではないので、皆さんは是非、学校の先生からいろんなことを学んでください(笑)。
それでも、1年の時は学科で優秀者に名を連ねることは出来ました。やはり、実技は「普通」の評価でしたが(笑)。
2年になると、クラス替えのようなものがあり、学科の優秀者は1日ほとんど実技というグループでした。つまり、学科が出来る人はある程度楽勝、ということだと私は解釈したわけです(笑)。

そこで、たまたま広告に入っていたアルバイトの募集をみたのです。地元のフィリピンクラブのボーイです(笑)。「技工士になったら一生技工をするから、まったく違う水商売をやってみよう!時給も良いし、華やかで、楽しそうだし。」という本当に不純な動機です(笑)。即面接に行きました。元来のベヒーフェイスのため(笑)、後に分かる話ですが「こいつ大丈夫かぁ?もつかなぁ?」と思われていたそうです(笑)。

店長が元板前さんということもあり、料理も接客もかなりしっかりしたものでした。当然、指名客が重なるタレント(フィリピンクラブでは女の子のことをこう言います)がいるのですが、店長は実に気を遣った配慮をするのです。テーブルチェンジのタイミング、カラオケの時のちょっとした時間で別の指名客に挨拶にいかせる(デュエット曲の時は別です)、タレントがメイク直しにバックステージに行く時は、そっとさりげなく別の指名客にボディタッチをさせる(これはタレントの素養もあります)、などあげたらキリがない配慮がありました。

健全な運営でしたので、タレントもアルコールは一切ダメで、ドリンクはジュースかウーロン茶でした。そのタイミングもきっちりとした時間でやっていましたが、店長は厨房に居て私に指令を出します。ですから、私はドリンクのタイミング、タレントの動き、お客様の様子、刻々と変わる変化を頭に入れつつ、店長の質問に瞬時に答えなければいけませんでした。

こういった人間観察や気遣い、頭をフレキシブルに回転させることは、技工には全く関係ないことのように思いますが、少なからずどの職業にも役立つと思います。特に技工には芸術的側面はありますが、医療であるからです。
水商売がド素人で、アルコールも全く飲めない私でしたが、少年時代にもやっていた剣道(小3~高校1年まで)で培った根性と、そこそこの頭の良さ?で、フィリピンクラブで頭角を現すようになったのです。

技工学校は、成績に関しては問題ありませんでしたが、夜中3時までのバイトが影響し、出席時間が足りず、夏休みに補講を受けることもありましたが、無事卒業することができました。国家試験は自信もありましたし、確率的に落ちる試験ではないとタカをくくっていたので、学校に合格発表と証書をもらいにいったのは、もう5月に入ろうとしていた時でした。流石に教務主任にも呆れられたのを覚えています(笑)。
実際、合格していました(笑)。
ただ、既に5月になろうとしていたのに、私は技工士をしていなかったのです。
そうです。店長からいろんなことを学びたいというのと社会勉強で、フィリピンクラブのボーイをすることを決意したのです。店長との約束で1年限定でしたが。

現在はそんなことはないのかもしれませんが、当時、私が働いていたお店のタレントは若くても義歯が入っている人が多かったのも衝撃でした。タレントとボーイということで、節度を持っていましたが、この時、恋もいっぱいしました(笑)。人を好きになるのも、技工をする上で大事かもしれません(笑)。何故なら技工は手作業で、手で行うものには必ず「気」が入ると私は思っていますので、「人を想う」という心の豊さは、必ず作るものに影響すると思っています。

関係ない話ですが、この頃、「世の中、男が騙されているほうが、まだ幸せだな。」と感じ、社会勉強をさせてもらいました(笑)。


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技工士として働く

いよいよ技工士として働くこととなりましたが、当然、歯科界、技工界のことが全く分からない状態でした。今思うと環境や人との出会いがとても大切だと思います。
私は現在、歯科医院の院内技工士として勤務し、20年目を迎えています。
現在の歯科医院は技工士としては3つ目の職場ですが、今の歯科医院に来た時はカルチャーショックの連続でした。入社も、たまたま前の人が解雇?になったために、「ラボ長だけでは大変なので、来たければ来ていい。」というものでした。入社して3日目に、院長に臼歯の分割コアを投げられたのを明確に記憶しています(笑)。

現在はファイバーコアが多いのかもしれませんが、私が勤務する歯科医院では現在でもメタルコア、しかも自費ならばゴールドを使用します。入社した19年前も当然そうで、模型上で揺れるコアは問題外でした。当時の私はそのような認識はなく、ラボ長からもダメ出しがなかったのでそのまま納品していたのですが、院長から「模型上で揺れるコアは、口腔内で3倍揺れる!」と怒鳴られ、投げられたことは今でも自分を戒めるものとなっています。ちなみに、模型上で揺れるコアが口腔内で3倍揺れる、というのは、何かデータがある訳ではないと思います(笑)。
そんな散々な入社で、その後2年間、院長先生から直接名前を呼ばれることもありませんでした。私の名字は「渡邉(ワタナベ)」という、かなり多い名字なんですけどね(笑)。

以前よりも遥かにアカデミックな職場でしたので、日常的に専門用語が使われる状況でしたので、分からない用語はメモして、後で調べるということをしていました。今思いますと、もっとフランクに疑問が聞ける環境のほうが良かったと思いつつ、自分で調べて分かるようになる、臨床で何が行われているのか把握する、のはより力になったと感じています。職場はプロフェッショナルの集まりですから利益を出すのは当然のことです(直接利益に繋がらないこともありますが)。いきなりレベルが高いことは出来ませんし、それを任されたら患者様にも迷惑です。勿論、その段階で任せてしまう責任者に問題があります。ただ、日常の中で必ず自分が出来ることはありますし、「今日与えられた仕事を必ず今日中に仕上げる」システムではない限り、教科書を読み直していくことも可能です。やはり、準備をしていくことは、プロフェッショナルとして最低限の義務でしょう。
こういう姿勢は、必ず人は見ているものです。

自分が出来ないこと、知らないことばかりでしたので、自分なりにテーマを決め、日々過ごしていました。毎日の仕事に追われることも多かったのですが、1日、1週間、1ヶ月の中で自分の限界を少しずつ上げていくのも意識していたことでした。
5年間は職場での仕事が一通り出来ること、戦力として認められること、を目標によそ見をせずにやりました。その後、自分が興味のあること、出来ないこと、知りたいこと、という着眼点で、講演、実習会に出席するようになりました。

講師の先生や受講生との出会いがあり、技術的なことだけではなく、人脈を広げることが出来ました。いろんな情報を得ることが出来ましたし、優れた人間性の方々と出会いは、自分に大きな影響を与えてくれました。闇雲に講習会に参加しても消化不良になる可能性はありますが、自分がテーマを決めて参加する講習会は、自分自身が一歩踏み出すことで得られる出会いがあると思います。

講習会の参加は、自分に大きな出会いをもたらしてくれました。カナダ在住の横田浩史氏との出会いです。彼はカナダの友人と共に、わざわざ日本で開催された講習会に参加していました。横田氏と共に、年に1回彼の帰国に合わせ、ステインテクニックをメインにデモ&講習会を開催しています。
横田氏はSNSを中心に「ペイント番長」と名乗り(本当は彼の先輩から、彼のステインテクニックを賞賛され、名付けられた)、表面ステインを中心に、日本に帰国の際には講演、デモを行っています。横田氏と講習会で出会ったのは、10年前になるのですが、以前から「何か一緒にできたらいいね。」と言い続け、2年ほど前から実現したのがFumidas(フミダス)というグループであり、デモ&講習会です。

横田氏も私も、名前に「史(フミ)」が付き、「ステインテクニックを通じて、現状から一歩踏み出す(Fumidas)ことをして欲しい」という願いがあり、横田氏がFumidasと名付けてくれたものです。この会は、学生は割安になっていますし、業界初の試みかと思いますが、「自己投資割引制度」というものがあり、申し込み書に何か理由を書けば、講習会費が割引になるというものです。
少額ではありますが、何かに役立ってくれると嬉しいと思っていますし、「臨床家なら人のことを少しでも考えられるようになりましょう」というメッセージを具現化したものなのです。

やはり、出会いから生まれるものは非常に大きな、かけがえのないものがあります。
単に机上で技工をするだけよりも、もっと自分を成長させてくれると思います。
是非、一歩踏み出すことをして欲しいと思います。

話が逸れました。重複しますが、年間の目標を決め、それを逆算して、半年では、3ヶ月では、1ヶ月では、1週間では、1日では、とやっていったことで、自分の中に自信も芽生えましたし、医院でも徐々に認められるようになりました。人間、自分の居場所が出来るとやりやすくなるものです。根性論をふりかざすつもりは毛頭ないのですが、どんな職業も努力や多少の苦労なくして、何も得られないのは自然の摂理です。
ただ、歯科、技工はやれば認められやすいことは確かだと断言できます。向上心を持ち、真面目にやっていれば、患者様から喜ばれます。私は歯科医院勤務の院内技工士ですから、患者様が直接仰ってくれることもしばしばです。
コマーシャルラボ(外注ラボ)でも、歯科医師の先生からお礼の電話がある、というのも友人、知人から、よく聞くことです。私はインプラントを中心とした全顎的な咬合を再構成する症例にも多く関わりますので、治療期間が数年にも及ぶものがあり、患者様の治療、生きることに対する真摯な向き合いに、グッときて涙が出そうになることもありました。
今は、「補綴終了がゴールではなく、メインテナンスという新たなスタートである」という想いがありますので、感傷的になるよりも、長期的良好な予後について考えてしまいますが。

以前は、院内の経験値をもって開業すれば「かゆいところに手が届く」重宝される技工士になれる、と考えていました。確かに院内にいることで、印象の良し悪しー悪い時の原因、バイトの精度、実際に口腔内を観ることで得られる蓄積、補綴物の調整量、など、模型やバイト、口腔内写真から想定できるスキルはある程度は身に付いたと思いますが、症例は全て患者様個々に抱えるものや希望が違う、ということにも気がついてきたのです。
一つの医院で20年目を迎えるのは、稀有な存在であり、見方を変えれば「チャレンジしない!」「ステップアップを積極的にしない!」と評価もされがちですが、私にとって、それだけ歯科技工士が診療に関わる環境は、難しさや辛さもありながら、遣り甲斐と楽しさがあったからです。特にインプラントの全顎的な補綴では、「患者様の顔を見ないで製作することは出来ない!発音、清掃性、噛みごこちも、実際に患者様にインタビューしながら、仮歯(専門的にはプロビジョナル レストレーションですが)を調整していくことが必須!」というのが、私の経験からの自論です。

歯科技工士の未来

現在の歯科技工ではCAD/CAMが必須の存在となってきます。実際、臨床で使用できるレベルになっています。私も、特に全顎的なインプラントフレームは、CAD/CAMの恩恵を非常に受けています。
CAD/CAM以前は、小さなパーツでキャストし、ロウ着という手法でしたが、金属量が多くなるインプラントフレームでは鋳巣は悩みの種でしたし、ロウ着も精度を上げるのが非常に難しいものでした。やっとロウ着したものが不適合で、泣きながら泊まってやり直したことも、1度や2度ではありません。今は確実にCAD/CAMが作ってくれますので、大丈夫です(笑)。
このように、CAD/CAMは非常に有益なものですが、クラウンブリッジのフレームに関して言うなら、我々歯科技工士がワックスアップし、適合調整したもの以上の適合は得られないと思っています。CAD/CAMに使われるということはないと思いますが、自分が求め、患者様に貢献するために、CAD/CAMが必要なら使う、効率が上がり、結果、クォリティが上がるのなら使う、というスタンス、ポリシーが必要でしょう。
いずれにしても、コンピューター上で技工が出来るというのは、これからの技工士の道の一つであることも間違いないでしょう。
時代の変化に敏感であることも大切なことでしょうが、基本はクォリティを上げることが出来るのか、長期的良好な予後に繋がるのか、患者様に利益が還元できるか、がポイントでしょう。

「歯を直すのは愛の業」

「歯を直すのは愛の業」という言葉があります。キリスト教の伝道師、国際的な思想家として活躍された内村鑑三先生が大正15年の夏、 こよなく愛されていた自然豊かな避暑地・長野県中軽井沢の星野温泉に逗留中、突然激烈な歯痛に襲われました。
 しかし、当地の歯科医院で受けた手厚い歯科医療によって、程なくその苦痛から開放されたそうです。「Dentistry is a Work of Love」は、その時の喜びを心より表現された言葉とされています。
「歯を治す」ではなく、「歯を直す」としたのは、単に治療で歯を治すのではなく、治療によってその人の内面全ての健康を取り戻して人間を立て直す歯科医師を目指しで欲しいとの願いが込められているとも言われています。歯科技工士もまた、愛なくして人の身体の一部として機能する人工臓器を作れないと思っています。

ハンドメイド、カスタムメイドのものは、私達の日常において、時間がかかりますし、注文することも決して多くはありません。歯科の補綴物は、一部CAD/CAMを使ったとしても、ハンドメイド、カスタムメイドがほとんどでしょう。それにも関わらず、短時間での製作を余儀なくされるのは、可笑しな事です。長期間機能させるためには、しっかりとした時間も必要です。

「忙しい」とは心を亡くすとは書きます。数を作る技工が決して悪いとは思いませんが、生体にとっても、患者様にとっても、良質な補綴物を提供するためには、ビジョンが必要だと思います。出来るだけ早い段階で、「自分がどのような技工士になりたいのか」、「技工士としてどんな仕事がしたいのか、出来るようになりたいのか」、明確なビジョンを想い描くことが重要です。

私は、母のことがあり欠損補綴に強い想いがあり、コーヌスデンチャーを必死で覚えましたし、勤務する医院の特徴でもありますインプラントを、真綿が水を吸うように覚えていけたのだと思います。ある程度、オールマイティに出来つつ、自分が興味のあると思える分野を得意にする、これが必要とされ、自分自身も楽しくやれることに繋がると思います。

歯科技工士ほど遣り甲斐がある職業はありません。術前術後がダイナミックに変化します。人の人生を変えることが出来ます。人の健康を変えることが出来ます。私が勤務します河津歯科医院院長も中心として活動しています日本顎咬合学会は、「口」を「命の入り口  心の出口」と唱えています。当然、「口」は食事をするのに大事な器官です。歯のない赤ちゃんの時期から、口腔及び周囲の筋肉を動かすことで脳が発達し、人格形成にも繋がると言われています。
余談ですが、母乳が良いと言われているのは、栄養価、スキンシップも然りですが、飲みづらいからこそ、口腔周囲を使うので良いと言われていますし、親御さんが赤ちゃんに離乳食を食べさせる際に、スプーンで口蓋にペタッと付けるようにするのは、赤ちゃんの可能性を阻む行為と言われています(食べやすいようにしてしまいがちですが)。
高齢になっても、噛めることが活力に繋がります。義歯であっても、インプラントであっても、噛めることで、脳の血流は良くなり、痴呆も防止できるのは明確になっています。
薬をたくさん処方され、病院のベッドで寝たきりの状態だった患者様が、歯科医師の介入で噛める義歯を装着したところ、自分で食事をし、歩けるようになり、しまいには自分一人で海外旅行に行かれた例もあります。
こういった、「自分で食事が出来るようになった」、「歩けるようになった」という事例は、歯科では枚挙に暇がないのです。それだけ、我々歯科技工士の職業は素晴らしいものです。ただ、何の努力、研鑽もなしに、人を喜ばせることが出来る筈がないのです。
人に貢献できる、必要とされることは、歯科技工士冥利に尽きますし、自分の生き甲斐ともなります。
「感動」が小説や映画の中にしかないとしたら、とても寂しいことですが、我々歯科技工士の日常には「感動」がありますし、人を「感動」させることが出来る職業なのです。
辛くなったら、講演、講習会、インターネット上でも、「出会い」を求めてください。
何か目線を変えられるでしょう。
長くなりましたが、人を「感動」させることが出来る歯科技工士の道を邁進して欲しいと思います。

渡邉 一史
(2015.3.15)

【筆者】
渡邉 一史(わたなべ かずふみ)
(河津歯科医院)

【略歴】
1992年 東邦歯科医療専門学校卒業
1995年 河津歯科医院入社
2003年 青嶋ゼミ2期生(Perla group member)
2005年 青嶋ゼミ アドバンスコース
2006年 QDTシンポジウム講演発表
2008年 プロセラコンテスト インプラント部門審査員特別賞
2009年1月~2013年7月 月刊「歯科技工」にて “基礎から始める内部ステインテクニック”連載
2010年 青嶋ゼミ アドバンスコース、アシスタント
2011年2月 第9回 モリタ技工フォーラム 登壇
2011年3月 HMPS(ハワイ)登壇
2011年  エステニア コンテスト、林直樹賞受賞
2013年 第5回 国際歯科技工学術大会(韓国) テーブルクリニック
2014年 ペイント番長とともにFumidasを結成
2014年10月 「実践 内部ステインテクニック」(医歯薬出版株式会社)を出版



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