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トップページ > 臨床現場で働く歯科技工士の声 > 歯科技工士の『イマ』を訊く6
臨床で働く歯科技工士の声

歯科技工士のイマを訊く-vol.6- 【山岡 一樹さんの場合】


  -”歯科技工士として生きる”己に負けない決意ができたきっかけ -

-とっても些細なきっかけ-

”困った時、悩んだ時に相談できる友人はいますか?”それが歯科技工の道を歩み始めて最初に受けた言葉でした。
僕の母校である『行岡医学技術専門学校』は業界の著名人を多く輩出し、団塊の世代の方に尋ねると”技工界の東京大学”と表現する人が大勢いるような学校です。 さきほどの言葉は入試の面接で先生から受験生ひとりひとりに投げかけられた言葉でした。

僕が大学を2年で中退してした頃、新聞広告の端にあった行岡医学技術専門学校の願書出願の広告を見つけました。 何も知らなかった僕は『シカギコウシ?なんかカッコイイ!!!』と直感で思い、そんな単純な理由だけでその道を目指してしまったというバカヤロウが僕なのです。
早速入学願書を送り、実技試験ではデッサンをし、面接試験で先ほどの問いに『Yes』と答えると数日後に合格通知が届きました。 後に先生に話を聞くと定員割れのため受験生全員が合格していたそうです。
そして入学してすぐに告げられる技工科の閉科のお知らせ。 どうやら長年定員割れだった為に僕達の学年で生徒の募集を停止してしまうというのです。そう聞いて僕は耳を疑いました。
それでも頑張って”モノ”にしてやろうと最初は熱くなっていたのですが、実家で技工所を営んでいる同級生なんかは親の背中を見ているのかセンスがよくて、 予備知識も何も知らない自分は分からない事だらけで大きな差がありました。 先生もできる人を伸ばす一方で、 できない人には最低限国家試験を受かるための実習ばかりで面白みがなく途中からやる気を失っていました。
家の近くに技工所がない環境で、 技工所でのアルバイトもできる機会もなく授業もサボりがち。学校を途中で抜け出して駅前のゲームセンターでぬいぐるみを獲ってきて席に置いているくらい 在学中は心が技工から離れていました。

-ロック魂炸裂の20代-

それでも無事に学校を卒業し、国家試験を合格した時に選んだ道はバイト雑誌で見つけた郵便局の準社員。 当時の僕は『もう絶対技工なんかやるか』と思っていました。 外務配達員をしながら『大学時代からやっていたギターでバンドマンとして音楽で飯を食っていけたら』と、 ライブ三昧の日々を3年ほど送りました。
郵便でバイクに乗ってた影響で大型二輪免許も取得しましたし、 沢山の友達ができました。中には無茶苦茶な奴もいますが今でもよく会いますし、一生物の大切な「仲間」です。

転機になったのは親からの 「そろそろ25歳になるんだから、遊び歩かずちゃんとした仕事に就きなさい」という一言。そう言われて『せっかくなんだから歯科技工の免許を使って仕事をしよう』 と思った僕はハローワークに行き、小規模の義歯専門の技工所を紹介していただきました。
軽く面接を受けて実技試験。 でも臨床経験もなくブランクも大きくて何もできない自分。訳もわからず何もせず、でも気づけば採用。 そこで受けた「うちは終身雇用はないから、 5年もあれば開業できるだろうから独立していきなさい」の言葉。 ”初めて臨床模型を見るだけで驚きの連続なのに開業って・・・”

全く開業が想像もできないまま僕の技工人生が再スタートしました。 最初は何もできなくてもやらなきゃいけないなら何とかなるようで、 少々ブサイクな物を作り続けては社長に怒られ、それでも職場の先輩に教えてもらい気づけばなんとかやっていました。 ちなみに当時仕事を教えてくれた先輩方は社長の考えや技工の道に希望が持てずにどんどん辞めていってしまって、 入社して4年ほど経ったときには会社には僕と社長の二人だけになってしまっていました(笑)

-まじで!?の連発でした-

これだけでもハチャメチャな人生の方向転換を繰り返してると思いますが、5年と少し勤めた時に社長から背中を押されて、本当に勢いだけで開業してしまいました。 材料も機材も業界も分からず、営業もした事なく、見よう見まねで中古機材をかき集めて場所を借りて、、、経理はおろか鋳造すらした事なかったんですよ?!
さらに僕は歯医者が苦手だったのを思い出しました。 でも営業で回らないといけない、、、何度受け付けのお姉さんの前で言葉を噛みまくりながら歯科医院の独特な香りに頭がクラクラしたか・・・。
一見無謀とも思える大計画は、やっぱり無謀だったようで開業当初は得意先もほとんどなく売り上げもお小遣いくらいでした。 これでは生活ができんと必死になって体当たりで営業に回りましたが、やっぱり相手にしてもらえません。

そんな時、お世話になっていた材料屋さんのアドバイスを受けて飛び込みで回った1軒の歯科医院が僕の人生を変えました。 その歯科医院内には技工士さんがいて、先生が会わせてくれたのですが、なんと専門学校時代に仲の良かった同級生でした。 学校卒業からそのまま10年近くキャリアを積んで大きく成長した彼は仕事をバリバリとこなして、 なんとなく時間に流されて生きてきた自分とは大違いでした。
ふとしたご縁からお仕事を頂く事になったのですが、 先生のこだわりが強くてレベルが高くてついて行くのに必死な毎日でした。

-僕らの必要性を感じたとき-

ある日、 先生が通っている勉強会に参加しないかと誘われて京都まで行きました。 先生方が大勢集まって、 凄そうな技工士さんがたくさんいて、専門用語が満載の難しい話をしていました。でも驚いたのが、先生と技工士さんの会話がほぼ対等の状態でされていた事です。 立場の差がほとんど感じられない空気で、若手の僕にも丁寧に接してくれました。 『ここに僕も混ざりたい!』そう思い勉強会のコースを受講しました。

大人になって改めて勉強するってカンタンな事じゃないなと感じつつも、同期で受講している技工士さんと仲良くなって互いに困った事を話し合って繋がりが増えていきました 。 日常でこなす仕事も要求水準や難易度が上がる一方で充実感や日々の楽しさも増していきました。 もっと色んな視野から仕事に臨みたいと違う学派の勉強会にも顔を出すようにしました。
さらに人と繋がりが増え、知ってる人と新しく出会う人が繋がっていたり、 懇親会で久しぶりに会う人とわいわい話しているうちに、僕はすっかり技工が好きになっていました。

-仲間の大切さ-

”困った時、悩んだ時に相談できる友人はいますか?”学生時代は実習で製作する技工物の良い悪いが分からなくて同級生に相談なんて雰囲気ではなく、 一人で悩んで結果も出なくてあまり学業に打ち込めなかった自分がいました。
でも開業してから色んな地域から色んな分野で仕事している熱い同志が集まる場所で、 悩みや困難を打ち明けるとみんなも同じような悩みを持っていたりするわけで、話に花が咲いたりします。 一人で仕事している時も辛いことがあっても、 今この瞬間に違う場所で戦っている仲間を思うと負けるわけにはいかない、そう思えるようになりました。
いつの間にか開業してから5年が過ぎて、 仕事をさせてもらっている先生方も信頼してくれるようになりとても良い環境で仕事ができるようになりました。

-今臨床で頑張っている若手の技工士さんに-

これを読んでくれている皆さんもご存知のとおり、業界を取り巻く不安は大きくなり、デジタル化や機材の発展で仕事の存続が危ぶまれるそんな噂をよく聞きます。 この仕事を志願してくれる若い人が劇的に少なくなり、専門学校もどんどんと閉校してしまう悪い流れができてしまっています。

でも僕はこの仕事はなくなる事はないと思います。高齢化が進んで技工物の総量はまだまだ増えていき、機械化しても必ず人の手が必要になります。 チェアサイドとラボサイドを行き来する過程で必ず発生するエラーやミスリンクを未然に防ぐ経験や選球眼、 それを生産に繋げる瞬発力や情熱を持った先生のこだわりへの対応、ベースとなるのは人対人の仕事ですから技工力と人間力が求められます。
だからこそ自分の担える部分をとことん詰めて臨床の底上げをする。分からない事があれば相談できて相談してもらえる仲間を作る。先生や上司や仲間と供に考える時間を作る。それでも無理なことがあればしっかり先生に伝える。 コミュニケーションって簡単なようですが、ちゃんとできていますか?言われた事を曖昧なままにそのままこなすだけになっていませんか? 代わりがいない仕事をやれるようになれば暗い話なんて気にもなりません。

そのためには卒後さらなる専門性を求めていく必要があると思います。現場に求められる技術をどんどん習得していく必要があると思います。 例えると国家資格が自動車の運転免許で、ペーパードライバーが臨床の現場でレーシングドライバーとしてサーキットを走るような、本当に良い技工物を作るためにはそれくらいのギャップを求められる仕事もあります。

もしも日常臨床で仕事をしていて辛い事にぶつかった時、勤めている会社以外の仲間に相談できれば同じような悩みを共有できるかもしれません。「あいつも今頑張っている、自分も負けていられない」そう思える仲間がたくさんいれば胸を張って日々仕事に打ち込めるんじゃないかと思います。
学生時代は落ちこぼれで就職するまでブランクのあった僕がいつの間にか開業して、楽しく毎日仕事をしている。これからも楽しく仕事ができると確信する理由は大切な仲間がいるからです。
一人で悩まず、みんなで団結して業界を担っていきませんか?ここを読んで頂いてる皆さんにはたくさんの可能性があります。足元を見ていても影しか見えません。一人でつぶやいても誰の耳にも届きません。前を向いて大きな声で明るく仕事ができればいつも明るい明日がやってくると思っています。

-学生の皆さん、これから学校を志願される方へ-

これから歯科技工士を目指す学生の皆さんにも、学校で仲間をたくさん作ってください。将来のために縦の繋がり(非常勤講師の先生)と横の繋がり(同級生や上級生)をたくさん作ってください。分からない事があれば先生にどんどん疑問を投げかけていってください。学校で自分の得意不得意を感じて、特に不得意を克服してください。得意不得意だけではない「楽しいかどうか」で将来を模索してみてください。 就職先が決まってもわずかな期間で夢を持てずに辞めてしまう人がたくさんいます。 その背景にはまだまだ仕事としてビジネスモデルに至らない業態の会社も多々あります。 リクルートとして就活をする時に会社のモチベーションを見極めて更なる可能性を信じられるか、師として憧れられる上司がいるか、 自分自身の可能性を引き出そうとしてくれるか、そこを大切にして就活でできるだけたくさんの会社を見てください。 僕がつけてきた小さな足跡で皆さんに勇気が宿りますように。

山岡 一樹
(2017.9.13)



【筆者】
  
山岡 一樹(やまおか かずき)


【略歴】
2002年4月 行岡医学技術専門学校入学
2006年5月 辻本歯科技工所入社
2013年2月 山岡デンタルワークス設立
2015年6月 ivoclar vivadent社 BPS認定取得


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